2013年にユーカリカシテンを始めて10年。
このたび静岡の地を離れ
山口県長門市俵山に移ることになりました。
かねてより夫婦とも山口・九州方面が好きで
「住めたらいいね」と憧れはありましたが
いろんな仕事のお話をいただいて充実している時期でもあり
この地にいるのだと漠然と思っていました。
しかし震災・原発事故が起きて以来
「このままの暮らし方をしていていいのだろうか」と
大きな問いを持つようにもなっていました。
どんなふうに生きていくのか、いきたいのか、を
夫婦で話し合う日々。
どんなに話し合っても、
100%納得するような答えはありませんでした。
そんななか俵山とのご縁ができて、
目の前に伸びているこの道に行ってみよう、と思いました。
とはいっても、わたしにとってユーカリカシテンはただの店ではなく
ユーカリと家族がいるから生きていられる、というほど大切な場所。
こどもの頃から生きづらさをかかえていたわたしが
「存在していてもいいんだ」
と初めて思えたのがユーカリカシテンでした。
ここに来てくれるたくさんのお客さんのやさしさを感じながら
わたしはお菓子を作り、生きてこれたのです。
ユーカリカシテンはどんなときもわたしの希望。
家族にとっての太陽。
これを失わない限り、どこでも楽しく生きていける。
そう信じています。
『いま』の続きに未来がある。
というあたりまえのことを、ようやく心でわかったところ。
だから、数年先の未来のことはわかりません。
いま、を積み重ねていくその先どこにいるのか。
たのしみです。
ここでのユーカリカシテンは11月9日までの予定です。
少しでも長く、いつものユーカリカシテンでいたくて
ぎりぎりのお知らせになりました。
あとすこし。
みなさんと静かであたたかな時間を過ごせますように。
たくさん、ありがとう。
ユーカリカシテン
小坂 ゆかり
このたび静岡の地を離れ
山口県長門市俵山に移ることになりました。
かねてより夫婦とも山口・九州方面が好きで
「住めたらいいね」と憧れはありましたが
いろんな仕事のお話をいただいて充実している時期でもあり
この地にいるのだと漠然と思っていました。
しかし震災・原発事故が起きて以来
「このままの暮らし方をしていていいのだろうか」と
大きな問いを持つようにもなっていました。
どんなふうに生きていくのか、いきたいのか、を
夫婦で話し合う日々。
どんなに話し合っても、
100%納得するような答えはありませんでした。
そんななか俵山とのご縁ができて、
目の前に伸びているこの道に行ってみよう、と思いました。
とはいっても、わたしにとってユーカリカシテンはただの店ではなく
ユーカリと家族がいるから生きていられる、というほど大切な場所。
こどもの頃から生きづらさをかかえていたわたしが
「存在していてもいいんだ」
と初めて思えたのがユーカリカシテンでした。
ここに来てくれるたくさんのお客さんのやさしさを感じながら
わたしはお菓子を作り、生きてこれたのです。
ユーカリカシテンはどんなときもわたしの希望。
家族にとっての太陽。
これを失わない限り、どこでも楽しく生きていける。
そう信じています。
『いま』の続きに未来がある。
というあたりまえのことを、ようやく心でわかったところ。
だから、数年先の未来のことはわかりません。
いま、を積み重ねていくその先どこにいるのか。
たのしみです。
ここでのユーカリカシテンは11月9日までの予定です。
少しでも長く、いつものユーカリカシテンでいたくて
ぎりぎりのお知らせになりました。
あとすこし。
みなさんと静かであたたかな時間を過ごせますように。
たくさん、ありがとう。
ユーカリカシテン
小坂 ゆかり